夢の架け橋
物理学や化学、材料科学、エレクトロニクスなどにとっての夢の架け橋は、原子・分子と固体や液体などの凝縮系を繋ぎ合わせることです。 すなわち、原子が
一個、二個、…と集合して次第にサイズが大きくなる過程で、その性質がどのように変化していくかということを系統的に理解することです。
これは物性のサイズ依存性と呼べるもので、ヘリウム原子が何個集まれば超流動性を示すのかといった基礎的なことから、シリコン原子がどのような集合形態をとれば微小デバイスとして機能するのかといった応用面まで種々の問題が含まれます。
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↑原子からクラスター、そして凝縮相への変化
金属原子1個では非金属ですが、クラスターを経由して凝縮相へと移行させる過程で金属化が起こることを模式的に示しています。 |
[1]クラスターの構造解析
近年、霧吹きの原理を応用して、自由空間中に原子あるいは分子の少数多体系(クラスター)が作製できるようになり、夢の実現に向けて大きく一歩を踏み出しました。
ところが、最も基盤的情報であるクラスターの構造(原子配列)でさえ、実験により系統的に調べる方法は確立されていません。我々は世界で初めて、X線吸収微細構造分光法(XAFS
= X-ray Absorption Fine Structure)を利用して、サイズ選別構造解析に成功しました。XAFSは、X
線吸収により放出された光電子が周囲の原子により散乱される現象を利用するもので、特定原子周辺の局所構造を調べることができます。
下図は、この方法をセレンに適用したもので、2量体セレンSe2とクラスターSen(n≧5)では、Se-Se原子間距離の明瞭な差異を反映して、XAFS振動の周期が全く異なっています。
詳しくは、M. Yao, J. Synchrotron Radiation 8 (2001)542; K. Nagaya, Phys. Rev. Lett.
89 (2002) 243401等。 [2]
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↑Seに対するXAFS |
[2]希ガス・クラスター内の電荷移動
金属と絶縁体の区別は、電気が流れるか否かです。 しかし、真空中に浮かんでいる、しかも極微小のクラスターの電気伝導特性を如何にして調べるのか?
実は、これもX線吸収を使えば良いということに気づきました。
下図は、X線吸収により、深い内殻から光電子が放出されるときに起こる原子内過程です。 オージェ電子放出が次々と起こり(Auger cascade)、多価イオンになります。
クラスター内の原子に内殻正孔が形成される場合も、原子内でAuger
cascadeが起こりますが、正孔が価電子軌道に上がって来ると、隣接原子への電荷移動が無視できなくなります。多数の電荷がクラスター内に生成されると、大きなクーロン反発エネルギーが蓄積され、ついには多くの子イオンに解離します(Coulomb
explosion )。 解離直前の電荷分布は、解離直後の子イオンの3次元運動量に反映されますから、それを測定することにより、
X線吸収により特定原子内に発生した電荷がクラスター内にどのように広がったのかを知ることができます。
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↑原子内のX線吸収過程 |
A. 硬X線(hard X-ray)の場合
一例として、クリプトン・クラスターの1s電子を放出させてイオン化させたときに生成される種々の子イオンの強度を、クラスターサイズの関数として調べたものを下左図に示します。
多価イオン(Krz+)は単調減少、1価のクラスターイオン(Kr+2, Kr+3)は単調増加、1価の単原子イオン(Kr+)は極大を持ちます。
このような特徴的なサイズ依存性は、下右図のように、多価イオンはクラスターの表面、クラスターイオンはクラスター中心部、1価の単原子イオンはその中間で生成されると考えると、見事に説明できます。
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左:Krクラスターから放出される子イオン強度のサイズ依存性 右:クラスターのイオン化におけるサイト依存性 |
B. 極紫外自由電子レーザー(EUV-FEL)照射の場合
20電子ボルト(eV)程度の極紫外(EUV)光を照射すると、価電子イオン化が起こります。
光源として、非常に高輝度の自由電子レーザー(FEL)を利用すると、クラスター内で多数の価電子放出が起こるため、多価のイオンになりCoulomb
explosionに至ります。 しかし、hard X-rayの場合とは異なり、種々の非線形現象が見られます。
下図はアルゴン・クラスターにEUV光を照射したときに放出される子イオンの平均運動エネルギー(○)と光電子放出効率(実線)のクラスターサイズ依存性です。
サイズが大きくなると、即ちクラスターが受ける光子数が多くなると、光電子放出効果が著しく低下しています。
詳細は、Iwayama, J. Phys. B: At. Mol. Opt. Phys. 42 (2009) 134019,
Fukuzawa, Phys. Rev. A. 79 031201(R) (2009)等.
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↑Arクラスター・EUV光相互作用における光電子放出効果のクラスターサイズ依存性 |
さらに、1光子のhard X-ray吸収では希ガスの絶縁性を反映して、電荷が生成されても高々近接原子に広がるだけでしたが、
多光子EUV吸収ではクラスターの隅々まで電荷が行き渡ること、即ち、「金属液滴」になっている証拠や、 Coulomb
explosion直前の電荷分布が自己組織的に再配分されている証拠などが見つかっています。
[3] 分子内の電気伝導
上述のX線吸収を利用して、非接触で電荷移動を測定する方法は、分子ナノにも応用できます。
近年、分子を主材料とするボトムアップの電子デバイス開発に熱い視線が注がれていますが、その第一歩である単一分子の伝導特性計測ですら多くの問題を抱えています。
その原因として挙げられるのが、伝導特性測定のために用いられる電極の存在、すなわち「電極問題」です。
まず、分子はナノ・スケールであり、これに巨視的な電極を着けること自体が、技術的に難しい課題であります。
しかし、さらに本質的な問題は、電極の存在が分子の性質を変えてしまうことです。
即ち、分子における電子準位は本来、離散的ですが、電極と接触することにより、準位がシフトすると共に有限のエネルギー幅をもつに到ります。
我々は、非接触電荷移動測定の有用性を調べるために、臭素原子とOH基を互いに分子の反対側にもつ芳香族分子を取り上げました(下図参照)。
これに、臭素のK吸収端直上のエネルギーをもつ硬X線を当てると、臭素原子に選択的に電荷を生成させることができ、その際、酸素がイオンとして検出されることをもって、電荷の分子横断が確認できます。
下図は、子イオンの飛行時間質量分析スペクトルです。 いずれの場合も、電荷移動が確認できると同時に、分子の依る微妙な差異も見つかっています。
詳細は、Nagaya, Appl.Phys.Lett.(2010).
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↑実験で得られた子イオンの飛行時間質量分析スペクトル |