周期表の大半を占める金属元素ですが、この金属も熱力学的条件を変化させることにより、固体から液体、さらには気体へと相転移を遂げます。三重点近傍の金属液体は、典型的な金属的性質を示し、自由電子ガス近似のよく成り立つことが知られていますが、一方、気体は絶縁性です。このように金属における気体から液体への一次相転移では、金属(Metal)から絶縁体(Insulator)への電子的性質の転移も同時に起こります(図1)。このことは金属流体が希ガス流体などのファン・デル・ワールス流体と大きく異なる点です。図1の温度圧力相図に示されているように、液体と気体の共存線は臨界点で消失します。図1(A→B→C)に示すように、三重点の液体から出発して、臨界点を迂回するように温度圧力を変化させると、融点近くの液体から希薄な気体へと、一次相転移を起こすことなく、連続的に移り変わることが可能となります(連続転移)(図1)。金属流体では、この連続転移を実現することにより、平均イオン密度に加えて平均伝導電子密度も低下させることができます。この過程で、金属流体は、臨界密度付近で金属から絶縁体へと転移しますが、液体-気体共存線を横切る場合とは状況が異なり、中間的な電子密度が実現されるということがあります。三重点近傍の液体から共存線を横切ると、自由電子的な電子状態から気体側の原子や分子に局在した量子状態へと不連続的に移行してしまいますが、この連続転移を実験的に実現することにより、平均的には伝導電子密度の低下した状態、あるいは電気伝導度のやや低下した状態を実現することができます。図1はあくまでもイメージ図ですが、この領域(電子の遍歴性と局在性の中間状態)におけるミクロスコピックな描像は未だ十分に解明されていません。この領域こそ、当研究室が最も注目して研究を進めている領域です。このような中間状態の実現は(あるいは単体状態での大幅な密度低下)は、固体では難しく、流体状態を利用する研究手法の大きな強みです。 一般に金属の臨界温度は非常に高いので実験的に超臨界状態を実現することは技術的に難しいですが、重アルカリ金属や水銀などは金属元素の中でも比較的臨界温度が低く(ルビジウム1744℃、セシウム1651℃、水銀1478℃)、三重点から臨界点近傍に至る温度圧力条件で実験を行うことができます。金属元素の中でも、アルカリ金属中の価電子の性質は、最もよく自由電子ガス近似により記述されます。しかしながら、臨界密度に至る低密度化に伴い、自由電子ガス近似は成り立たなくなって行き、臨界密度近傍で金属から絶縁体へと転移します。実際、ルビジウムやセシウムなどの電気伝導度を測定すると、臨界密度付近で電気伝導度が大きく減少し、絶縁体へと転移することが知られています[1]。さらに電気伝導度の測定データの解析から、臨界密度の三倍程度の密度から、すでに自由電子近似が成り立たなくなることが推察されています。つまり、金属-絶縁体転移に至る以前に、既に電子的性質に顕著な変化が生じるということです。このような領域では電子-電子、電子-イオン相互作用の影響が強くなり、様々な物性にその影響が現れます。 |
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アルカリ金属中の価電子が自由電子ガス近似によりよく記述されることは述べました。多体電子のこのような状況は、いわゆる電子ガス模型によりモデル化されます。正電荷のイオンを一様なジェリウムで置き換えてしまい、電子間のクーロン相互作用に着目したモデルです。この電子ガス模型は現実の物質を直接反映したものではなく、あくまでもモデルですが、金属中の価電子の挙動を比較的よく記述することができることが認知されています。この電子ガス模型については膨大な理論的研究がなされています。ウィグナー予測(電子ガスが希薄になると結晶化する)を始めとして、種々の電ガス系の多体理論研究が精力的に進められています。低密度化した電子ガスの基底状態における遍歴強磁性や非フォノン機構の超伝導の出現など、興味深い物性予測がなされています。現実のアルカリ金属では、もちろんイオンは一様な正電荷を構成してはいませんが、アルカリ金属の物性は、電子ガスの諸問題とも深い関連を有しています。 また、一価金属であるアルカリ金属の金属-絶縁体転移は、いわゆるMott転移とも関連性を有します。「バンド理論では金属的であるのに電子相関により絶縁体状態になる」、アルカリ金属の金属-絶縁体転移は、このようなMott転移の観点からも重要な研究課題となっています。 |
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一方、周期表でアルカリ金属元素の一番上が水素であることも重要な事柄です。アルカリ金属元素の気体中には、高い比率で二原子分子が存在することがわかっていますが、図1に示す連続転移のパス(A→B→C)を気相側から(C→B→A)と眺めたとき、この二原子分子がどこまで流体中に存在するのか、金属化したときにも存在するのか、二原子分子はいつ乖離して単原子性になるのか、といった観点に立つこともできます。このことは、まさに流体金属水素の問題とも絡み重要です。高温高圧条件における流体水素の金属化は、爆縮実験により1996年にNellisらにより報告されています[2]。流体金属水素は木星内部に多量に存在すると考えられていますが、流体金属水素の存在形態は、木星の内部構造を知る上でも重要な研究課題となっています。このようなアルカリ金属流体中における分子性と金属性の共存状態という視点、さらには、アルカリ金属流体そのものが、よく規定された(well-defined)な強結合プラズマであるという視点を踏まえると、この物質系は、宇宙物理学の観点から非常に興味深い対象といえます。 低密度化により金属-非金属転移を起こすアルカリ金属流体において、構成粒子間の相互作用の解明は、電子の遍歴性と局在性、イオンの運動といった効果が複雑に絡み合った難問ですが、非常に興味深い問題です。このようにアルカリ金属流体は、物性物理学の基本問題に関わると同時に、基礎科学的観点から極めて興味深い研究対象なのです。 [1] F. Hensel, W.W. Warren, Jr.: Fluid metals: The Liquid-Vapor Transition of Metals (Princeton University Press, 1999). [2] S. T. Weir, A. C. Mitchell and W. J. Nellis, Phys. Rev. Lett. 76, 1860 (1996). |
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アルカリ金属流体の低密度化に伴うイオン系の空間配置、すなわちミクロ構造を調べるために、融点近傍から臨界点近傍に至る幅広い温度圧力領域で、X線回折測定、およびX線小角散乱測定を実施しています。これまで、アルカリ金属の極めて高い反応性のため、高温における精密実験は殆どなされてきませんでした。そこで、アルカリ金属流体に対する反応性の少ない試料容器を新規に開発し[3]、大型放射光施設SPring-8を利用して、超臨界領域に至るアルカリ金属流体のX線回折測定およびX線小角散乱測定を行うことに成功しました。新たに開発した試料セルを図2に示します。セルは高温のアルカリ金属に対しも耐食性のあるモリブデンを材質として用いています。図中の右は全体像、左は先端の試料部を切断して拡大したものです。試料厚みは0.4 mmで、二つの30ミクロン程度厚みの単結晶モリブデン製のX線窓の間にアルカリ金属流体試料が保持されます。図中右側から入射したX線が試料で散乱され、左側に散乱X線が出て行きます。この散乱X線を検出しています。 | |
流体ルビジウムを対象とした構造実験の結果によれば、体積膨張により平均のイオン間距離は膨張しているにもかかわらず、逆に最近接のイオン間距離は縮小し、かつ密度ゆらぎが増大するという系の不均質ミクロ構造を示唆する結果が得られています(図3)。このような構造変化は、アルカリ金属流体の低密度化に伴い、イオン間の相互作用が変化していることを示しています。もともと液体金属中のイオンには、伝導電子を介した間接的な相互作用による引力相互作用がありますが、伝導電子の状態が低密度化により変化し、その結果としてイオン間の相互作用にも変調が生じていることが推察されます。電子ガスが低密度化するとどのような性質の変化が生じるかについて、数多くの多体電子系の理論計算がなされていますが、その一つに低密度電子ガスにおける電子圧縮率の発散(体積弾性率→0)があります。電子圧縮率の発散は、交換相関効果により生じ、一様電子ガスは密度の低下とともに不安定になることを意味します。またこの電子圧縮率は電子ガスの誘電的性質とも結びついており、密度に依存して変化するイオン間の相互作用に影響を与えると予想されます。実験的に観測された最近接原子間距離の低下や密度ゆらぎの増大といった構造不均質性の出現領域は、定性的にこの領域に対応しており、観測されたミクロ構造変化が電子系の相不安定性と相関を有していることが推察されます[4]。 ルビジウム以外の他のアルカリ金属についても同様な挙動が観測できるか否かは、極めて重要です。現在、セシウムについて測定した結果からは、やはり体積膨張による密度の低下に伴い、最近接原子間距離が低下し、同様の密度領域から小角散乱強度の増大が観測され始めるという、ルビジウムと定性的に同様の挙動を示しています[5]。全てのアルカリ金属元素を網羅することは実験的にも困難ですが、このことは、観測された特異なミクロ構造変化がアルカリ金属元素に共通の特徴であることを示唆しています。 [3] K. Matsuda, K. Tamura, M. Katoh, M. Inui: Rev. Sci. Instrum., 75, 709 (2004). [4] K. Matsuda, K. Tamura, M. Inui: Phys. Rev. Lett. 98, 096401 (2007). [5] K. Tamura, K., K. Matsuda, M. Inui, Journal of Physics: Condensed Matter 20, 114102 (2008). |
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ミクロ構造変化に対して電子状態が密接に関わっていることは述べましたが、低密度化したアルカリ金属流体中の電子状態を直接的に解明することは有意義であると考えられます。低電子密度領域で、多体電子系がどのように振舞っているのか。その電子状態を観測するために、現在、アルカリ金属流体の高分解能コンプトン散乱測定を実施しています。実験は、第三世代大型放射光施設SPring-8(兵庫県、西播磨)のビームラインBL08Wにおいて実施しています。 電子の運動量分布を与えるコンプトン散乱は、物質のフェルミ面を観測する有用な観測手段として古くから知られていますが、近年、放射光を利用したコンプトン散乱実験の精度が従来に比べて格段に向上し、強相関物質などの電子状態の研究に大きな威力を発揮しています[6]。コンプトンプロファイルのフェルミ波数付近には、電子間相互作用を反映して特異なプロファイルが現れます。アルカリ金属流体の低密度化に伴って、コンプトンプロファイルが自由電子ガス系のプロファイルから、どのようなずれを生ずるかを調べることは興味深い。昨年度4月より、専用の高圧容器の設計と製作を開始しており、昨年度末の3月に高圧容器を完成させています。今年度から散乱実験に着手し、流体ルビジウムを対象として1100℃までの散乱実験を実施したところであり、今後さらに低密度領域における実験の実現に向けて技術開発を行っています。 [6] M.J. Cooper, P.E. Mijnarends, N. Shiotani, N. Sakai, A. Bansil, eds.: X-ray Compton Scattering (Oxford Series on Synchrotron Radiation) (Oxford University Press, 2004). |
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